見守りかたも色々ある

限界だと思っても、さまざまな思いは器から溢れるけど、ちゃんと受け皿があって、こぼれた思いが溜まっていき、そして見つめ直すことが出来る。

受け皿は家族や身近な親しい人たち、

消化しきれない思いを吐き出すと、似たような境遇の人が結構いるわよ。と教えてもらう。・・・私一人じゃないんだな。

母は不安や不満が過ぎ去ると善い老人に戻ります。あの形相はなんだったのか、穏やかな顔をしています。

兄から「病気だから仕方ない」「1年くらい暮らしただけで。。」なんて厳しいお言葉( ̄▽ ̄;)

向き合うコツを教えてよと聞いてみた

『耐えること』

・・・寂しいことを言うものだ。と思った

ふと、耐えるなんて構えでいるから、マイナスに捉えてしまうんだな。。と気づかされた。

『放っておくことだ』と、言う。

平行線の向き合い方、嫌なら帰ればいい。以前近居のときは私もそうだった。

同居では、逃げることが出来ないのだけど、私がそう思うように母も同じように逃げ場がないのだと思う。

逃げたくならないないように暮らす。それでも逃げたかったら逃げ道を作っておくようにする。真正面から向き合うのでもなく、後方から見守っていられればいいな。

それは嫌々するのではなくて、使命感を持つことでもなく、ましてや耐えながらすることでもない。

当たり前の気持ちに素直になることだと思う。おおらかな気持ちで、見守れる自分を作ること。。

しんどいときは、休むこと。パワーはいつかは蘇ってくるものさ。

サンザシの実は紅く色づきました☺️

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