well being
聞きなれない言葉だけど、ウェルビーイング。
現代的ソーシャルサービスの達成目標として、個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念。1946年の世界保健機関(WHO)憲章草案において、「健康」を定義する記述の中で「良好な状態(well‐being)」として用いられた。最低限度の生活保障のサービスだけでなく、人間的に豊かな生活の実現を支援し、人権を保障するための多様なソーシャルサービスで達成される。一部の社会的弱者のみを対象とした救貧的で慈恵的な従来の福祉観に基づいた援助を超え、予防・促進・啓発といった、問題の発生や深刻化を防ぐソーシャルサービス構築に向けての転換が背景にある。
(中谷茂一 聖学院大学助教授 / 2007年)
様々な角度から、ちょっと 考えて、伝えていけたらと思います。
終の棲家に住む者たち
形の理想ばかりを追いかけていると
つい主役を忘れがち。。
住まいは入れ物であって
そこに住まう主人公がいるのだった
終の棲家とひと言で言っても
その中で向き合い生活し合う またはひとりで快適に住むためには
どういうことを求め どういうことに気遣えばいいのか
それを忘れちゃならないな。と 思う
今 大人サイズがどうにか納まるスペースを得た暮らし向きの私だが
終の棲家には程遠い住まいの在り方だけど
家族は温かく 互いに必要とし 助け合い 存在を大切に出来ている
仰々しい構えにしてしまうと とかく 家族に小さな行き違いすれ違い
溝が生じて 結びつきが希薄になる 住まいもあるように思う
大きさや立派な構えであっても
その家族にとっては 温かみを削いでしまうこともあるかも知れない
心地よさは家族の触れ合いや知人や訪問者とのコミュニケーションが
緩やかに図れ 心地よさを演出してくれる造りや空間なのではないか
ふと そんな気持ちになった
扉 ひとつにしても 優しいものがいい
ノックひとつで いつでも歓迎
そういう扉がいい
それは住まいの扉も 心の扉も 同じくらい大切
住まう人 それを第一に考えた住処
どういうものが 私たちに相応しいのだろう
(2005.10.22 記述 かじわらようこ)