わたしのおもい
羨ましがられる暮らし (o^―^o)
今年96歳の母は、サービス付き高齢者向け住宅に入居しているけれど、面会に行く度に「寂しい寂しい」と訴える。コロナが落ち着き、面会の回数も増えたけれど、その度に悲しい訴えを聞くことに、悩み始めたのが今年の春。。その頃、私が体調を崩し声…
介護と言う形
重たい荷物を背負うように、介護をしていた日々を振り返る。母の存在が重たくて、理想からかけ離れる暮らしを自分ばかりを責める毎日だったように思う。あれから、どれだけの月日が経っただろう。母は、サービス…
【介護と健常の狭間】
母と暮らすようになって、一年半が経過しました。同居当初は、母の言動に振り回され、このまま私は生きていけるのか?と苦しむこともありました。表面に表れる「母の言動」にばかり気を取られ、それは何故起きるのか?ってところまで考えてい…
【暮らしの流儀】
母と暮らし始めて、几帳面な母の暮らしに入り込むことの難しさを感じた数ヶ月。ところが、いつの間にか、その空間の心地よさに浸る。私自身の部屋もいつしか整えることが習慣となった。歳を取ると身の回りのことが出来なくな…
見守りかたも色々ある
限界だと思っても、さまざまな思いは器から溢れるけど、ちゃんと受け皿があって、こぼれた思いが溜まっていき、そして見つめ直すことが出来る。受け皿は家族や身近な親しい人たち、消化しきれない思いを吐き出すと、似たような境遇の人が結構…
見守りの限界って、あるのかな?
【包み込むように見守る】・・・限界が見え隠れ母の気分に振り回されて、少し疲れ気味のこの頃です。私に来客があると気に障って仕方ないらしく、苛々が始まる。夜中に呼び出されて「知らない人が何度も出入りして落ち着かな…
変わるのは自分だ
高齢の母と暮らし始めて、生活の基本自体がずいぶんと様変わりした。時間のスピードがゆっくりになったことと、毎日の決まりごとの反復。それを丁寧にやること。ものの置き場所の意味を考えるようになる。何故ここなんだろう?何故ここじゃな…
私の日常
東京ステイが終わって半年母との暮らしで、自由な時間が減り気儘な私の暮らし向きも一変した些細なことでも母は私を頼り呼び出しチャイムが鳴る・・・そんな生活に囚われ人の気分にもなっていた半年と言う時間は【慣れる…
目の前の見えないものを見る
表面に現れていることに、そこにも真実はあるけれど奥底にはもっと深い真実があったりする。自分が放つ言葉は、自分が思った意味とは違う響きになって相手に届くことがある。取り手が違えて受け取ったとしても、それは紛れもない私の言葉。…