【母の終活】
庭の手入れが母の生き甲斐なのだけれど、色々と思うところがあり、少しずつ手放している。
植物は生き物なので、手入れをしてあげないと枯れ朽ちる。大きくなり過ぎて手に負えなくなることもある。
日曜の朝、
「庭全部、植えてるものを全部無くしてしまおうかと思う。」と言い出す母。
庭が生き甲斐と言っている母がいったい何を言い出すの?と慌てる私。
手入れが大変で疲れてしまった。と言う。あれこれ考えると眠れなくなる。。
憂鬱さの原因は、説得してどうなるものではないと私は悟ったので、取り除けることだけを見極めることにした。
リビングから見える草花は癒しにもなるし、大切だから、私も手入れを手伝うから残しておきましょう。と宥めて。。
そう言えば、大切に育てていたカラーもずいぶんと処分をして、数株が残っているだけ。。この頃は土だけの部分が増えてきた。すでに母の終活は始まっているのだと感じる。
金木犀を伐ることも、最初は兄に反発されたけど(一時の思いつきで後で悔やんで、そのとき伐ったこっちが恨まれるのは嫌だ)
そんな兄の受けるイメージとは違い、私は母の気持ちを汲んであげられないかと思った。歳を取れば、身の回りを整理したい気持ちが湧いてくるのだと思う。見送る側の私たちが出来る手助けをしてやればいいのではないかと、普段、兄には逆らわない私だけど、そう兄に訴えてみた。
兄が庭に出て支度をしているときに、母が私に「私がお願いできないところを言ってくれてありがとう」と安堵した様子で声を掛けてきた。
毎年、黄金色の花と甘い香りを届けてくれるのは自然に生まれるのではなく、手入れをしているからこそ、そこに美しさがあったのだけど、それを知らない観賞する人から見れば、伐採はなんて勿体ない悲しいことをするのだろうと思うのだと思う。
立場が違えば、考えることも異なる。
生き甲斐を自分から幕引きを始めている母なので、やりたいように思うように私は従って手助けをしようと思う。