母と同居を始めた当初、高齢者には有りがちな【思い違い】から気持ちの行き違いで母の機嫌が悪くなることに遭遇した。
良かれとしたことが裏目に出て、母の機嫌を損ねることになる。激しい口調で私を責める。。気を利かしたつもりのこちらとしては寝耳に水。
釈然としないものの、母の機嫌を損ねたことは事実だから、誤解を解いて私はすぐに謝ります。
そんな私の態度を【弱さ】に映るのか、「悪くもないのに何故すぐに謝るの?」と身近な者に突っ込まれ「もっと強くならなきゃ!自分より弱い者には年寄りだって強気になる」
だけど、私は母と対抗しているわけではなく、誤解や警戒を解いて、穏やかに暮らしたい。だから、すぐに私から折れるのだ。
「私は母より強くなりたい訳じゃなく、わかり合いたいだけ。。それが難しくて、母が暴言を吐いたとしても私は反発せずに聞いているだけ。それで私が精神的に疲れても、だからと言って母を抑えようとは思わない。私の性格は変えられない。」と、うまく言えないけど、そんな言葉を返した。
【強さ】って、なんだろう?
強い言葉に対抗する、もっと語気の強い言葉の応酬なのかしら?
私が思う【強さ】とは、どんな言葉でも聞き入れて、感情的にならず落ち着いて、意味を噛み締め吸収することじゃないかな?と思う。
言い返しもせずに聞く姿勢は弱さに映るのかも知れないが、とても強い心と広い心が必要なのだと思う。
大阪に帰って来た当初は、傷つくばかりで辛かったけど、
母の言動を諭したり、注意したり、母の言葉を遮ったりしているうちは母はやはり緊張をしていたように思う。。
この頃は、少しだけど、互いのペースを尊重しつつ、甘えることもしてくれるようになった。
こちらからのお仕着せではなく、何をしてほしいと思っているのか、少し観察するようにした。そして、求められたらにこやかに応えること。常に声掛けがしやすい私で居ること。。そんなことを意識して。
強さって、優しさと同義語なのかなーー。とも感じるこの頃です。