『陽』と『陰』
物事には光の差す場所と影になるところがある
人間も同じで表向きと内側がある
母との同居を前向きに前向きに
半ば、自分の気持ちを抑えてでも笑顔で振舞う日常も
小さな綻びが出来る。
自分の見えている部分と、そうでない部分が、あるんだと思う。
でも、私にはそれがどうしても見えない。
見えなかった部分を「ここなんだよ!」と地べたに擦り付けられるように分からされるときがある。
前向きに笑顔で暮らす私は自分本位で身勝手で
自己満足でしかないのだと言わんばかりに思い知らされる時がある。
きれいごとでは、世の中 済まないことがある。
それを見ないで真っ直ぐに進もうとすると
どこかで足元を掬われてしまうことがある。
『なんでも聞いてやるから、いいように使われている』
『年寄りは自分より弱い者に横柄になる、まさにそうなってる』
『同情した言い方をしないで、突っぱねれば、甘えてこなくなる』
「しあわせ」だと思い込んでいる現実には、裏側があって
真実は私にとっては、思いも寄らない私ではない何かを求めて
取り敢えず 私で間に合わせておこうという薄っぺらな現実があるのだ