わたしの母は来年90歳、非常に高齢です。
ところが、すごく元気です。ビックリします。
今日も実家に立ち寄ったら、作ったおかずを持って帰って。って、容器を探すんだけど、
椅子に乗って、吊り戸棚から容器を取り出す、その身のこなし・・・高齢者とは呼ばさない。。
「よっこいしょ」も言わずに、スイッと。 矍鑠(かくしゃく)としている。
高齢になる母のことが気掛かりで、近居を決めて、3年前に関東から大阪に戻ってきた。
けれど、こちらの心配はよそに、母は非常に元気である。元気過ぎて、拍子抜けしている今日この頃です。
わたしの方が日々の生活に不安の陰を落として、娘に心配を掛けることも・・・。
とかく、高齢になると身の回りのことが充分にこなせなくて、片付けが出来ずに部屋が散らかることが多いようだが、うちの場合は、その心配がなく、この調子だとあと数年は公的支援も必要ないと突っぱねる勢いです。
生涯元気でいられたら、幸せね。
だけど、ほんのちょっとは甘えてくれて、ほんのちょっとはもたれかけてくれて、そしてかわいく年を重ねて欲しいと思います。
母に対しても、娘に対しても、親子と言う関係とバランス、そして自分の重さを考えます。
重荷になりたくないけれど、少しは寄りかかってくれることが娘として・・・存在意義になることも自覚した。
世間一般には、親の面倒はなるべく看たくないって、そんな傾向が見受けられるけど・・・、すべて将来の自分に降りかかることだと思い、親に自分を重ねて、また、娘にも自分を重ねて欲しいと思う。
そういう意味でも、自分の将来像を自分なりに描いている。
趣味や仕事の面で、一個人として 社会でも認められ、わたしの存在が家族にとって、プラスになっていたい。
母にも優しさを失わずに、娘にとっても、寄り添いたいと思ってもらえる存在でありたい。そう思う。